ストーリーテリングについて語るブログ

「言葉にする勇気」で人間関係はもっと深まる

前回のコーヒー店での体験に加えて、私がニューヨークで目撃した「言葉にすることで深まる人間関係」について、もっと具体的にお話ししたいと思います。日本では「なんとなく避けがち」な場面で、現地の人たちがどんな風にコミュニケーションを取っているのか、見てみましょう。

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車内での「小さな勇気」

私がニューヨーク郊外に住んでいた時の通勤電車での話です。コロナ禍以降、3人掛けの席の真ん中は遠慮して座る人が減っていました。私もなんとなく「狭いかな」「迷惑かな」と遠慮して座らないことが多かったのです。でも、ある時そこにすっと座った女性がいました。それも、お世辞にも「スリム」とは言えない女性でした。
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座った瞬間、彼女は隣の人たちに向かって笑顔でこう言ったのです。
「きつくなってしまってごめんなさいね。でも座れて本当によかったわ」

この一言で、車内の雰囲気が一気に温かくなりました。隣の人たちも「全然大丈夫ですよ」「当たり前です」と返していました。最初は微妙な空気だったのが、お互いを気遣う優しい空間に変わったんです。

これがもし日本だったら、座ったとしても肩身が狭い思いをして、黙ったまま過ごすことが多いですよね。でも、この女性はサラッと一言をかけただけで、みんなが気持ちよく過ごせる空間を作り出していました。

困った時こそ、人がつながる瞬間

ある時は、電車で気分が悪くなって戻してしまった方がいました。こんな時は本人も周りも何となく気まずいものです。ヘルプはするものの、何となく気まずい雰囲気が漂ってしまうものです。

でも、ニューヨークでは違いました。

最初に気づいた人が「Are you okay?(大丈夫ですか?)」と声をかけると、周りの人たちも次々と行動を起こしました。ある人は水を差し出し、別の人は駅員を呼びに行き、また別の人は扇子代わりに雑誌で風を送ったりと。

驚いたのは、みんなが自然に「自分ができること」を分担して即座に動いていたことです。駅員さんは何事もなかったように汚物の上にパラパラと段ボールを置きました。すぐに清掃はできなくても、そうすることで気分が悪くなってしまった人もその場でずっと気まずい思いをしないで済むようになりました。

最後にはみんなで「良かったですね」と笑顔を交わして、まるで一つのチームになったような一体感がありました。日本だったら、気まずい空気のまま終わってしまうことが多いと思うのですが、こうしてボランタリーに声を掛け合うことで、みんなが気持ちよく協力できる環境ができていました。

カフェでの「当たり前の一声」が作る気軽さ

次はカフェでの出来事。ニューヨークのカフェでは席を探している人が当たり前のように「この席空きますか?」と聞いています。そして聞かれた人も「あと15分くらいで出ますよ」「もうすぐ空きます」と気軽に答えています。

日本だと「席を譲ってもらうのは申し訳ない」「聞くのも迷惑かな」と遠慮してしまいがちですよね。でも、ここでは「聞く」ことと「答える」ことが、お互いを助け合う自然な行為として受け入れられています。

時には「大きなテーブルなので」なんて提案をする人もいて、見知らぬ人同士が自然に会話を始める光景をよく目にします。

たった15分でギリシャの別荘への招待?!

友人のOさんから聞いた話が、特に印象的でした。

ある時彼女の家に大家さんが訪ねて来たそうです。普段は不動産エージェントとのやり取りが主ですが、その大家さんとは初めて会ったのだそう。普通なら「初めまして、よろしくお願いします」程度の挨拶で終わりそうなところ、Oさんは彼女の言葉の訛りを聞き、「どちらのご出身ですか?」と聞いてみたそうです。

するとその大家さんが「ギリシャよ」と答え、そこから話が盛り上がって:

  • ギリシャのどの地域出身なのか
  • その地域の美しい景色について
  • ギリシャ料理の話
  • 現地での生活の話

そんな会話を15分続けただけで、最後に大家さんから「ギリシャに別荘があるの。いつでも遊びに来ていいわよ!」という信じられない招待をもらったそうです。これにはOさんのご主人も「えっ、本当に?」と驚いていたとか。

たった15分の会話で、ギリシャの別荘に招待されるなんて、日本ではなかなか起こらない展開ですよね!

なぜ日本では起こりにくいのか?

これらの体験を見ていて、「なんで日本だと同じようにはいかないんだろう?」って思いませんか?

私たち日本人は、どうしても「相手に迷惑をかけちゃダメ」「空気を読まなきゃ」「あまり踏み込んではいけない」と考えてしまいがちですよね。それに「言わなくても分かってくれるでしょ」と、相手に「察してもらうことを」期待してしまうこともあります。

その結果、声をかけたいタイミングを逃してしまったり、なんとなく距離を保ったままで終わってしまったり。せっかくの出会いが「その場限り」になってしまうことが多いのです。

でも、そこにここでご紹介したような「少しの会話」をプラスするだけで、人間関係がぐっと豊かになることがあります。ニューヨークで生活してみて、私はそんなことを学びました。

「言葉にする」だけで、こんなに変わる

今回お話しした体験は、結局は「状況を言葉にする」「関心を素直に表現する」「困った時はお互い様で助け合う」といった、とてもシンプルなことばかりです。でも、その小さな「言葉」が人と人をつなげる、すごく強力な力を持っているんです。

私たちは普段「できるだけ言葉にしない」「察してもらう」ことに慣れているから、こんなふうに話が盛り上がったり、関係がスーッと深くなったりすることは珍しく感じるかもしれません。

でも、だからこそチャンスなんです!私たちには元々「察する力」という素晴らしい能力があります。そこに「言葉で表現する力」もプラスできたら、日本とアメリカ、両方の文化の良いところを活かせるようになるはずです。

「言葉にする勇気」で、あなたも身近な人との人間関係を一歩深めてみませんか?きっと、思っている以上に温かいつながりが待っているはずです。

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この記事を書いた人

米・ニューヨーク在住。ストーリーを使った「ストーリートーキングⓇ講座」認定講師。スピーチコミュニティ「伝わる!スピーチ道場」主宰。
こちらのブログでは「ストーリーテリング」、「スピーチ」を中心に、書くことで人の強みを発掘し、話すことで相手の心を掴む話し方、をテーマに書いています。

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